「さばく接客」と「心を添える接客」の違いとは
「残念だなあ」と感じてしまう接客には、共通して“ある印象”があります。
それは、「さばいている」「こなしている」という印象。
最低限の仕事はこなしていても、そこに“人の心”を感じない接客は、どこか冷たく映るものです。
たとえ言っていることが正しくても、接客は“どう伝えるか”で印象が180度変わる――
今日はそんなお話です。
「また来たい」と思われる接客に、必要なものとは。
その日、私は、狭小店舗+大人気店のパン屋さんにいきました。
研修を終えた帰り道、空腹と疲労の入り混じった身体に、あの「あんぱん」がどうしても染み渡る気がして・・・。
何度も訪れている店だったのに、いつもの私なら間違えないはずの会計レーンを、うっかり見誤ってしまったのです。
長蛇の列ができる人気店なのに、その日に限って不思議と空いていました。
目の前に並ぶべきレーンは、くねくねと蛇行したように設置されていて、横にスッとまっすぐ伸びたレーンがひとつ。
「こちらでいいかな」と自然と体が動いたその場所は、実は“会計を終えたお客様の出口レーン”でした。
そのときです。
店内に響き渡るような、少し荒々しい声が飛んできました。
「お客様!こちらにお並びいただけますか?!」
・・・一瞬、時間が止まったように感じました。
もちろん、店員さんの言っていることは、間違っていません。
確かに私の立ち位置は、会計後のお客様の動線をふさいでしまっていた。
でも、どうしてだろう。
その言葉が、まるで「何してるんですか!」と怒鳴られたように胸に突き刺さったのです。
私は急いでその場を離れました。
けれど、出来立ての「あんぱん」を食べても、どこか心の奥のもやもやは消えないままでした。
伝え方ひとつで、人の心はふわりと動く
「同じことを伝えるのでも、どうしてそんな言い方なんだろう」
帰りの電車の中で、ふと思いました。
たとえば、あのスタッフさんが優しい表情で、静かな声で、
「すみません、こちらは出口になっておりまして…あちらにお並びいただけますか?」
そう言ってくれていたら、私はきっと、
「すみません、気づかずに…ありがとうございます」と、
少し恥ずかしさを感じながらも、きっとほっこりとした気持ちで家路についたと思うのです。
人の心って、本当に繊細です。
ちょっとした表情や声のトーン、言葉の選び方で、あっという間に温まったり、冷めたりする。
だからこそ、接客は“人にしかできない”仕事だと思うのです。
デパ地下での「私の番」の行方
もうひとつ、よくあるシーンがあります。
それは、私の大好きなデパ地下でのこと。
ショーケースの前で目を輝かせながら、あれこれ選び、ようやく「これにしよう!」と心を決めた私。
でも、スタッフさんはまだ前のお客様の会計の途中。
私は無理に割り込むことなく、静かに順番を待っていました。
会計が終わり、「よし、次は私…」と思ったその瞬間。
「すみません!これください!」
そう言って、後ろから来た別のお客様が、私の“順番”をさらっていったのです。
スタッフさんは何の迷いもなく、その方の注文を取り始めました。
私は、ただ呆然と立ち尽くすしかありませんでした。
「私、もう選び終えてたのに…」
「ちゃんと待っていたのに…」
「どうして、見ていてくれなかったんだろう…」
そう思った瞬間、ほんの小さな“期待”が崩れていく音がしました。
「気づいていますよ」の目線ひとつで、人は安心する
接客において一番大切なのは、「見ていますよ」「気づいていますよ」という合図です。
店内が混み合っていても、
目の前のお客様に対応しながらも、
“その奥”に目を配れるかどうか。
「お待たせいたしました。次のお客様、どうぞ」
そのひと言があれば、誰も傷つかず、誰も嫌な思いをせずに済むのです。
間違えたお客様への“出口”をつくる
接客とは、マニュアルをなぞることではありません。
間違えたお客様がいたとき、ただ正すのではなく、
“恥をかかせない出口”を用意すること。
「すみません、出口レーンになっておりまして…」
「ありがとうございます、すぐにご案内しますね」
たったこれだけで、気まずさも、怒りも、きっと和らぎます。
人が人に声をかける仕事だからこそ、
そこには“心”が宿っていてほしいと思うのです。
最後に伝えたいこと
正しいことを、正しく伝えるのは誰にでもできます。
でも、相手の気持ちを想像して、
その人が少しでも心地よく過ごせるように伝えるのは、“プロの接客”だけが持つ技術です。
「また来たい」と思われるお店には、
そんな“さりげない優しさ”が、ちゃんと息づいているのです。