「三献茶」の話をご存知ですか?
その昔、豊臣秀吉が現在の滋賀県の近江長浜城主だった頃、
鷹狩りで喉が乾いていた秀吉は、
とある寺に立ち寄ってお茶を所望したそうです。
その時に対応した寺の者は、
秀吉の求めに応じて、
ぬるめのお茶を
大ぶりの茶碗になみなみと入れて持ってきたそうです。
秀吉はそれを一気に飲み干したあと、
さらにもう一杯お代わりを頼みました。
すると今度は、
やや小さめの碗に、
先ほどより熱めの茶を用意してきたのです。
そこで秀吉は、試しにもう一杯所望してみたところ、
今度は小ぶりの碗に熱く点てた茶を出したそうです。
この気働きに感じ入った秀吉は、
その者を城に連れ帰って小姓としました。
それが、のちの五奉行の一人、
石田三成となった、という逸話です。
この話が真実かどうかはわかりませんが、
喉の乾いている相手に、まずは飲みやすい温かめの茶をたっぷり出し、
乾きが癒えた後は熱い茶を味わってもらう・・・
たった一杯のお茶にも細やかな気遣いがあれば、
そのお茶の味は格別なものとなることでしょう。
その前提は、相手の様子を見て、相手が欲するものを察することです。
このように優れた洞察力は“人の心を打つ”ことにつながるのです。
ですから私は、サービス業の研修だけに限らず、
セミナーや経営者とのコンサルティングでもこの話をしています。
マニュアル社会の弊害
この話を現代に置き換えてみるといかがでしょうか?
お茶の入れ方はマニュアルで定められていて、
何杯希望してもきっと同じものが出されるに違いありません。
これは、「サービスの均一化」と言われます。
お代わりを希望すると、
もしかしたら、
3杯目は嫌な顔をしてぶっきらぼうに出す人がいるかもしれません。
なぜなら何杯もお代わりをする人の事例はマニュアルにないからです。(笑)
もちろんいつの時代も、気の利く人もいれば利かない人もいます。
石田三成が稀に見る気働きの人だったから、
この逸話が受け継がれているのでしょう。
しかし昔と明らかに違う背景に、「マニュアル」の存在があることは確かです。
現代の特に若い人は、
決められた通りにすることに安心感を覚え、
状況に応じて判断したり、
相手によって対応を変えることが苦手です。
経験不足もありますが、
あらゆることが文書によって規定され、
それによって平準化が図られているからです。
それがサービス産業の特徴でもあり、
また契約社会の特徴でもあるのです。
しかし、書かれたマニュアルや文書は、
当然、融通が効きません。
本来は状況によって変えるべきことも、
マニュアルはスタンダードを基準としているので、
想定を超えることの対処方法が示されていないからです。
安易にそして都合よく管理することを求め、
マニュアルに頼ることで、
自分で考えない人や
融通が利かない社会を
作り上げてしまっているように思えてなりません。
「目の前の人が何を求めているかを考える」こそが、
“気を働かせる”ということであり、
人間関係を円滑にし、心地良い社会を創造する原点なのではないでしょうか。