これは、詩人で画家の星野富弘さんの言葉です。
ご存知の方も多いと思いますが、
星野富弘さんは中学校で体育教師をされていた時に、
生徒の前で宙返りをして頭からマットに落ち、
頸髄損傷の重傷を負われました。
首から下は一切動かなくなってしまった中で、
やがて口に筆をくわえて文字を書き始め、
その後、美しい草花の絵に、
星野さんらしい詩を添えた作品を創作されました。
私も星野さんのファンで、いくつかの作品集を持っています。
「辛い」という言葉を使う人は多いでしょう。
その「辛さ」は人によって状況も感じ方も様々なはずです。
心の中は見ることができないので、
はた目には元気で幸せそうだった人が、
突然、自ら命を断つようなこともあります。
つい最近も、
東京都のとんかつ店の店主が油をかぶり、
不幸な事態になってしまった事件がありました。
星野さんは、
自ら生命を絶つことさえもできない状況の中で、
事故から数年は
「辛い」
という言葉が
頭から離れることがなかったのではないでしょうか。
しかし、その人生のどん底の日々の中から
光明を見出し、
「辛いという字がある。もう少しで幸せになれそうな字である。」
というメッセージを紡いだのです。
私は星野さんの半生を知っていただけに、
この言葉に出会った時、
ありきたりな表現ですが、
心から感動しました。
【生きることの価値】
さらにこの言葉は、
”生きる”ことの
「真理」と
”生きる”ことの
「希望」を示しているように思います。
どんなに辛い状況であっても、
もう少し頑張れば、
もう少し生きてさえいれば、
幸せになれる未来があるかもしれないのです。
本来”生きる”ということは、
その光を見出すための
毎日なのではないでしょうか。
表面的には、
便利で楽しく豊かな時代になると、
誰もが
人生の辛い現実を
直視しなくなってしまい、
それゆえに人の辛さにも
鈍感になっているのかもしれません。
もし、
今を生きることに辛くなってしまった人がいたら、
ぜひ、この言葉があることを
覚えていてほしいと強く思いました。