女性コンサルタントのブログ

㉖日本人の清浄の意識「家の外と中」

先日、ある有名私立高校にお招きいただいたときのこと。

その高校は外観も洗練されており、

学校内に入ることをひそかに数日前より楽しみにしておりました。

 

案内され、校内に入った瞬間、なんとも言われぬ違和感が・・・・。

「んー、なんでしょう・・・・。何かが足りない。」

そう思った瞬間、ようやく分かりました。

「そうだ!下駄箱がないんだ!」

 

そもそも、どうして日本人は室内で靴を脱ぐのでしょうか?

 

そうなんです。

「下駄箱」がないんです。

先生に「なんで、学校の外と中が区分けされていないんですか?」

とお伺いすると、「うちはアメリカナイズされた学校ですから・・・」

という先生の一言では、正直、どういうことなのか理解が出来ませんでした。

 

もし、子供たちや保護者から質問されたとき、

何故必要ないのか、先生方ははっきりとした答えを言えるでしょうか?

 

生徒が増えすぎてスペースがない?

金銭的な理由?

ロッカーが教室に個別にあるから?

 

再度、質問してみたのですが、明確なお答えはいただけませんでした。

 

システムとしては、

学校内に入って教室にたどり着くまでは「靴」。

そして、教室に入ってから、自分のロッカーに入っている上履きに履き替えるそうなんです。

下駄箱ではありません。

お弁当も教科書も体操服も一緒に入っているロッカーから、自分の上履きを取り出します。

(んー、ファブリーズ必須!)

 

廊下も階段も「靴」です。

だけれども、クラスに入ったら上履きに履き替え、

今まで靴だったところも上履きで通るという・・・。

えー?!外も内もぐちゃぐちゃじゃないー。

このことに違和感を覚えるのは私だけでしょうか・・・・?

 

 

日本人の清浄に対する深い思い

 

日本は、欧米とは違い「靴を脱ぐ」生活をします。

外の穢れ(けがれ)を家の中に持ち込むことを日本人はとても嫌うのです。

その「穢れ(けがれ)とは、単純に泥や誇りのことを指しているだけではありません。

 

不運な体験や人との軋轢、溜め込んだイライラなど、

あらゆるマイナス要素を落とし、

きれいな身になってから我が家に入るのが日本人なのです。

 

 

家の中と外、清浄と不浄

 

日本人は、玄関で靴を脱いだら、室内用のスリッパを履きますよね。

化粧室では、別の化粧室用スリッパに履き替えます。

不浄と考える化粧室に入ったスリッパで、ほかの室内を歩くことは失礼だと捉えられるからです。

 

ほかにも電車、タクシー、バス、ハイヤーなどの運転手の方の中には、

白の手袋をつけていらっしゃる方がいます。

この白の手袋をつける動作も、車内が「清浄」であることを示しています。

 

また、日本人は、お食事の前に手を洗います。

特に、電車やバスなどの公共の乗り物に乗り、

つり革などに触れた後は、そのままの状態で食事することを不衛生と考えます。

 

こうした背景から、日本では、日本料理に限らず、

フランス料理、イタリア料理、中華料理などあらゆるジャンルの料理店で

「おしぼり」が出されることが珍しくありません。

特にパンを含めて、直接手にとっていただくものには、おしぼりがあると安心できますよね。

 

 

清浄と不浄(穢れ)の意識

 

土やほこりのついた靴は「不浄」と考えて玄関で脱ぎます。

家の内と外は、明確に清浄と不浄(穢れ)とに分けられてきました。

外と内の「メリハリ」をつけることは大切だと思います。

 

そもそも学校は、子どもたちが学ぶ場所です。

子どもたちが先生や仲間から様々なことを教わり、

 

学び、気づく最高のステージであるというふうに考えます。

 

そのステージを美しい状態で保つ、内と外のメリハリ、

という視点は重要であると考えます。

 

 

訪問時の日本独特の習慣に

「玄関に入る前にコートを脱ぐ」というのをご存知でしょうか?

寒くても外でコートを脱ぎ、ついたホコリが散らないように裏返して手に持ちます。

 

家の内と外は、明確に清浄と不浄とに

分けられていることを十分に理解されていれば、

下駄箱が必要な理由もわかっていただけるのでは無いでしょうか・・・・。

ちなみになんですけれど、

玄関に入る前にコートを脱ぐというのは、

西洋では逆に「長居する気、まんまんです!」という合図と捉えられ、

嫌われてしまうので要注意でございます。