IT時代と言われますが、
それを実感するのが仕事帰りの電車の中です。
車内を見回していると、10人中6人がスマホをいじっています。
そして3人が眠っていて、
残りの一人はぼーっとしている。
割合でいうとこんな感じではないでしょうか・・・。
周りに大勢の”人”がいても、
その人々には無関心で、
興味の対象は小さな機器の中にある情報やゲーム、
あるいはLINEやFacebookで目の前にいない人と繋がること・・・。
この現象は、あらゆる場面で起きているように感じます。
同じ屋根の下で生活していても、
それぞれが別々のことをしていて、
目の前の家族に関心を持たなくなれば、
会話はなくなり、
家庭はただの居住空間になってしまいます。
職場もしかりでしょう。
この電車の中の光景は、
今の社会の人間関係を象徴しているようで
危機感を覚えるのは私だけでしょうか・・・。
Information Technology,
いわゆるIT化による情報機器の発達は、
わたくし達に本当に多くの恩恵をもたらしてくれました。
しかし反面、
人に対する関心を減退させる要因になっていることは
否めません。
その結果、目の前にいる人とのコミュニケーションが
うまく取れない人が増えているのも事実です。
人を理解するには、人を”みる”ことです
セミナーや研修でよくする質問があります。
「職場の人間関係を円滑にしたり、
良いサービスを提供するためには
「気配り」や「心配り」が大切と言われますが、
「気配り」と「心配り」はどう違うと思いますか?」
というものです。
「気配り」も「心配り」も同じように思えますが、
言葉が違うということは、
なんらかの差異あるはず。
その違いと共通のポイントを考えてもらうのが
この質問の目的なのですが、
答えは簡単で、
訓読みを音読みに変えてみると一目瞭然なのです。
「気配り」は、
相手の”気配”を察して相手から言われる前に対応すること。
「心配り」は、
相手のことを”心配”して対応することではないでしょうか。
それはどちらも、
相手にとっては嬉しいことです。
それでは、どうすれば「気配り」や「心配り」
ができるかといえば・・・・。
それは、相手をよく”みる”ことに尽きます。
分析できるぐらいにしっかり
”観て”いれば、
相手が何を求めているか自ずと感じることができるでしょう。
なぜなら、人は心に思ったことを言動で示すことが多いからです。
その”サイン”を見逃さないことが、
相手の要望に沿った対応を可能にし、
良い関係を築く基本になるのです。
医療行為も同様です。
医師や看護師などの医療スタッフは、
患者さんを診断するためにしっかり”診て”、
そして症状に応じて看護する(看る)というように
人を”みる”ことが仕事です。
このように人を理解するためには、
人を”みる”ことが大切だと私は思います。
電車の中で席を譲る人が減ったのも、
子どもの”助けて!”の声に気付かないケースが増えたのも、
職場でうつ病の人が増えたのも、
思いやりの気持ちがなくなったというよりも、
人のことをしっかりみていないことが増えたからではないでしょうか。
目の前にいる人を見ないことは、
相手を無視しているのも同然の行為。
人の心は離れていきます。
「人のふり見て我がふり直せ」という故事もあるように、
人を見ることから多くのことが学べるのです。